わくわく読書zanmai!
2019年
5月
07日
火
モスクワの誤解
シモーヌ・ド・ボーヴォワールが1966年から67年に執筆し、大きな話題をよんだ小説です。
恥ずかしながら初ボーヴォワールですが、久しぶりに素敵な文章に出合いました。
「老いること」に伴う身体の衰えや好奇心の減退、自分自身への失望、諦めといった諸々漠然とした喪失感が見事な筆致で描かれ、「ぼくの人生は何の役にも立たずじまいになるだろう」という登場人物のつぶやきは、そのまま私自身の恐れとして胸につきささる。
日増しに老いながら、今をどう生きればいいのか分からなくなる自分自身と向き合うことは難しい。しかし作品中に僅かな光明とも言えるヒントも得た。 モスクワの美しい夜空を見上げ、「見た」ことの感動を昔覚えた詩によって表現し得た登場人物は、昔の言葉が若々しく再生される恒久性に胸を熱くするのである。 詩であれ、音楽や絵画であれ、優れた創作は色あせず永遠にその美しさを保ち続けるという事実に、生きている限り創造的でなければならないと思い知らされる。
婚姻や出産に縛られず、互いの自由意思を尊重しながらサルトルを終生の伴侶とした生き方にも共感を覚えます。また彼女の作品を読んでみよう。
2017年
8月
21日
月
ロボット・イン・ザ・ガーデン
何て愛おしい物語でしょう! 疎遠だったブックレビューを思わず書いてしまう程に!
近未来のイギリスを舞台に、妻からの苛立ちも意に介さず、仕事もせず親から譲り受けた家で漫然と過ごす「ベン」が、ある日、自宅の庭に突然現われた旧式箱型ロボット「タング」と出会うところから物語は始まります。壊れかけたタングを救うため、修理してくれる人を探しに二人(?)は旅に出ますが、そんな中で、子供のようなタングと一人前の大人になりきれないベンは、共に学びあい気づきを深めながら成長していきます。
「何だ、ありがちなストーリー...」と思う無かれ、とにかくタングの描写が愛らしく、その言動が胸を温かくしてくれるのです。
自分自身が分からない、変わらなくてはならないという葛藤の中にあっても、他者の気持ちを思いやり、相手の立場を理解しようと思うことが出来れば、自ずと状況は変化してくるものだと、今更ながらに気づかされます。(ロボットのタングに!)
久し振りに、ホットな読後感の一冊でした。
2011年
12月
10日
土
困ってるひと
24歳の大学院生だった著者を突然襲った病気は、体の免疫システムが暴走し全身に炎症を起こす「筋膜炎脂肪織炎症候群」という非常に稀な難病。それも艱難辛苦の末、回り逢えた医師によってようやく明らかになったのです。 しかし本書の主題は単なる闘病記ではない。
障害者手帳を交付されても社会からの保護は期待できず、福祉からも見捨てられ自立を迫られる、「医療難民」となった著者が、自身をとりまく「困った」環境に正面から向き合い、生存を賭けて戦う日々の姿が冷静に綴られるノンフィクションです。(日本の社会保障制度は複雑怪奇で、難病患者の前にそれは「モンスター」のように立ち塞がっているのだ)
事態は相当に深刻でありながら、著者の話しぶりは常にどこかユーモラスで客観的な視点を忘れていない。忍耐強い理性をもって「生きるとは何か」という根源的なテーマに挫けず取り組む真摯な姿は感動的で頭が下がります。
フラフラの容態でも何があっても絶望だけはしない。 本日も「絶賛生存中!」なり。
超お勧めの一冊。
2011年
8月
18日
木
おもちゃの昭和史 おもちゃの王様が語る
メガヒット商品を世に生み出し続けたタカラの創業者、佐藤安太氏が著した本書は、過去の経営を分析したり、単なる想い出話を綴るのではなく、昭和のおもちゃ史を後世に残そうという使命感を感じさせる。
ダッコちゃん、リカちゃん、人生ゲーム、ミクロマン、チョロQ、トランスフォーマー、フラワーロック…それらのヒット商品は一過性の流行ではなく、発売後数十年経った今でも世界中の子供たちに愛されている。
氏は、永久に売れ続けるマーケティングについて、「その商品がもつ世界観(バックグラウンドストーリー)の確立」こそが重要であり、それがあって、ユーザーが商品に潜む新たな魅力と付加価値を見つけ出していく「顧客参加型マーケティング」へと繋がっていくのだと言う。
そして、本来玩具とは何か、それのもつ社会性、文化性とは何なのかといった本質論議をおろそかにして、皮相的に自分勝手な商品をつくりだしてはいけないと、今どきのゲームをはじめとする玩具へ苦言も呈している。
このように、モノづくりに関しては、大きな成果と実績を伴う方法論を築き上げたにも関わらず、人づくりに関しては確固たる方法論をもたずして会社を大きく成長させてしまったと猛省した氏は(これだけでも凄いのに)、モノづくりに理論的な方法論があるように、人づくりにも理論的な方法論を作ることが出来るのではないかと考え、タカラ会長を退任後、NPO法人を立ち上げ、86歳にして山形大学大学院理工学研究科で博士号取得する、正に実行の人といえる。
どうすれば人間的成長を成し得るのかという課題を、客観性のある学問の域にまで高め、その方法論をシステマティックに確立しようという「成功エンジニアリング」の研究は、震災後の「再生復活のための国家戦略」にまで想いが拡がる。
氏の情熱はいつまでもどこまでも燃え尽きないのである。
2010年
9月
12日
日
ぺるそな
「遠くから歩いて来たという青年」
「二十八年間、人形を育てているというひと」
「使いかけの電車のプリペイドカードを買わないかと訊く男」
「辛いので辞めようかと迷っている北洋漁船員」
...など等
2010年
9月
12日
日
オテサーネク
絵本とは言え
チェコの民話となると一筋縄ではゆきません。
グリム童話やイソップ物語のように
何かを示唆するとか、教訓する訳でもなく
とにかく
お母さんも、お父さんも、道行く人たちも
みんなオテサーネクに食べられちゃいます。
色彩の美しい絵が不気味さを一層惹き立てる(?)
蠱惑的な画集としても楽しめます。
2010年
6月
01日
火
日本辺境論 (新潮新書)
「日本人には辺境人根性が無意識下に刻み込まれている」という前提から、先生のお話は始まる。
「我が国こそ世界の中心である」という中華思想に対し、「自分は世界の端に居て、状況を変動させる主体的な働きかけは常に外から到来し、私たちは常にその受動者である」という自己規定から出発する国民性。
2010年
5月
02日
日
虐殺器官 (ハヤカワ文庫)
“テロとの戦い”を恐れる先進諸国が、個人情報認証による厳格な管理体制を構築する近未来。社会からテロを一掃したかに見える一方で、後進諸国では内戦や民族虐殺の勢いが止まらない。そうした戦争の影には常に、謎の米国人の存在が見え隠れする。彼の目的とは一体何なのか、この謎の人物を追いながら主人公クラヴィス大尉もまた、戦場における「自我」について葛藤し続ける。「この殺意は、自分自身の殺意だろうか」と。
2010年
4月
18日
日
フリー〈無料〉からお金を生みだす新戦略
今日のデジタル経済における多くの商材は、競争市場で限りなく無料に近づいていく。これはもはや自然の摂理であり、抵抗するよりむしろ活かす方法を模索しなければならない。
2009年
9月
26日
土
無知
ミラン・クンデラは、私の好きなチェコの作家である。
人間に与えられた80年余の寿命は、単なる量的所与、外的性質ではなく、人間の定義そのものの一部であることを我々は気付いていない。人生の相対的な短さ(わずかに許された限りある時間)故に、私たちは祖国や愛という概念を感傷的に生み出したのである。
2009年
9月
26日
土
悩む力 (集英社新書)
本を読む時はいつも、豊かな表現力をもつ作家に対し、自身の想いをも代弁してくれる「語りべ」の役割を期待しているのかもしれない。
この本の作者 姜氏もやはり、人生における価値観や考え方について、一つの方向性を示してくれる、優れた「語りべ」だと思う。
2009年
9月
06日
日
優雅なハリネズミ
たまたま手に取った本が予想以上に「当たり」だったりすると、この上なく嬉しいものです。この本もまさにそれ。
パリの高級住宅街で裕福な人たちが住むグルネル通り七番地。そこにあるアパルトマンの管理人ルネと、六階に住む少女パロマの二人が語るお話しです。
ルネは芸術も文学も、時には哲学すら嗜む知的な女性でありながら、その知性を他人に知られないよう身を隠すように暮らし、一方のパロマはその天才故に大人社会のくだらなさに希望を見出せず自殺を志願する十二歳のシニカル少女。
2009年
8月
14日
金
ザ・ロード
舞台は核戦争あるいは何らかの理由で破滅した世界。
空は厚い雲に覆われ始終灰色をしている。寒さは徐々に増し、地上に最早生命の営みは認められず、わずかに生き残った人間は互いに略奪し殺し合い、そして飢えをしのぐために人を食べることも厭わない。そんな暗澹たる中、荒廃した大陸を父と幼い息子が旅をしている。
2009年
7月
18日
土
きりこについて
「ぶす」という言葉では、およそ表現しきれないくらい「衝撃的な」容姿の「きりこ」という飼い主を、尊敬してやまない黒猫「ラムセス2世」が語る、きりこと彼女を取り巻く人々の物語です。
優しいマァマとパァパに愛情一杯育てられたきりこは、ずっと自分を肯定しながら生きてきたので、大きくなったある日「おまえはブスだ」と決めつけられても「ぶす」の定義が理解できません。「ぶすって、何だ。誰が決めたのだ。美しさとは?誰が決定する?誰が?」「ぶすやのに、あんな服来て」って、そんな言葉に屈することは出来ない。だって、自分のしたいことを叶えてあげるんは、自分しかおらんのだもの。
2007年
11月
18日
日
「狂い」の構造 (扶桑社新書)
春日・平山両氏が「狂い」について自由に語り合った本書は一見、気ままな放談集の様であるが、さにあらず。第一章「『面倒くさい』が『狂い』のはじまり」などは、非情に鋭い観察眼を感じます。
2007年
4月
07日
土
史上最悪のウイルス 上―そいつは、中国奥地から世界に広がる
「パンデミック(世界的大流行)」という言葉をご存知だろうか?
2003年初頭、世界中の目がアメリカのイラク侵攻に集っていたその同時期に、実は人類の存続を脅かせる恐怖があった。新型肺炎(SARS)の大流行である。
2007年
1月
08日
月
狂気
前著の「待ち暮らし」同様に、ハ・ジンの人物描写は情け容赦がない。
文革時代には反革分子とされた教養人であり、清廉の人と尊敬を集める大学教授が脳卒中で倒れ、彼を恩師と慕う主人公がその看病にあたるところから物語は始まるのだが、病床にある教授の狂人とも思える描写が兎に角凄まじい。
2006年
11月
11日
土
疲れすぎて眠れぬ夜のために
内田本は、頭が混乱している時に良いです。
何だか説明がつかないけれど焦りを感じる時に読めば、余分な力みがすっと抜けます。
2006年
8月
01日
火
ベル・カント
南米のとある小国の官邸がテロリストに占拠された話と聞けば、数年前実際に起きた「日本人大使公邸占拠事件」を思い出す人も多いだろう。そこで展開された状況は計り知れないが、少なくともこの小説の中では、奇妙な安らぎを湛える桃源郷を作り出したと言える。
2006年
7月
17日
月
山椒魚戦争
「ロボット」の著者としても有名な、チェコの奇才カレル・チャペックの代表作です。
太平洋上のある島で、ひっそり暮らす山椒魚に似た奇妙な生物達。強欲な人間は彼らの平和を脅かし、私欲のために便利な労働力として狩り出します。地球上で最も優れ、全てを取り仕切っているのは自分達と過信する人類の傲慢さは、やがて自らの破局を招き....。
科学の進歩の果てに人類が辿り着いたものは何だったのか、現代の私達にも痛烈に問いかける作品です。
2006年
6月
27日
火
冬の少年
鋭い感受性故に、想像が更なる想像を生み出してしまう少年時代。誰もがそんな時代を通り過ぎるのだとしても、殊更デリケートで内向的な主人公ニコラは、雪によって下界と切り離された「スキー教室」という小社会に放り込まれることで、向き合うべき現実と自ら生み出す夢想世界の間をさ迷うことになります。
2006年
3月
06日
月
白の闇
ある日突然、視界がまっ白になり失明する病気が蔓延する。感染をを食い止めようと、発症患者を次々に隔離する政府、しかし伝染病は益々猛威を増し、統治者もまた感染の例外ではなくなった。かくして社会の秩序は崩壊し、盲目の人々は生き続けることにも目的を見出せないまま、ただ街を彷徨う。物事を識別出来ない世界では、もはや名前というアイデンティティも崩れ去る。そんな中で、人はどこまで尊厳を保ち続けることが出来るのか、厳しく問いかけるサラマーゴの傑作です。
2005年
11月
07日
月
スキッピング・クリスマス
クリスマスが近づくある日、会計士の主人公ルーサーが昨年のクリスマスにかかった費用を概算したら、何と6千ドルの支出!「騒々しいパーティや付き合いのための出費はゴメンだ!」と、今年はクリスマスをすっぽかし、夫婦でカリブ海へ雲隠れすることを決意するところから物語は始まります。
2005年
11月
06日
日
リンさんの小さな子
難民を積み込んでヨーロッパの港へ向かう船の中に、女の赤ん坊を抱いて、遠ざかる故国を見つめ続ける老人がいる。彼はリンさんといい、赤ん坊は戦争の爆撃で亡くなった息子夫婦の忘れ形見。
2005年
10月
27日
木
待ち暮らし
容姿も悪く面白みの無い妻と別居し、離婚を要請し続けて18年目、ようやく離婚を果たし、若く美しい愛人と結ばれる主人公の医師。期待に満ちた新生活は、もはや若くない医師にとって決して心安らかなものではなかった。ふとした時に、前妻との平凡だが穏やかだった生活が思い出される。待ち続けた18年の歳月とは何だったのか?人間のエゴと弱さが描かれた秀作だと思います。
2005年
10月
06日
木
蟻―ウェルベル・コレクション
地球上に生きる生命体の中で、人間だけが哲学をもつと考えていなかったか。
自然の法則と、乱れることのない秩序に従って生きる蟻たちの前で、ヒトの思惑とは何と愚かしく映るのだろう...。
三部作一気に読めます。